境内案内

日吉大社

 日吉大社の境内は八王子山(牛尾山)を含む13万坪もの大きさをもち、全国に3800余りもある日吉神社・日枝神社・山王神社の総本宮です。楓や杉に覆われた境内には西本宮・東本宮を中心に多数の社殿が建ち、現在でも約40のお社があります。中でも特に大きな7つの社を山王七社といいます。国宝2棟(東・西本宮本殿)と、重要文化財17棟を保有しています。魔除け・厄除けの神社として多くの方がお参りされています。

日吉三橋[ひよしさんきょう]

 境内を流れる大宮川に架かっている3つの石橋です。西から大宮橋[おおみやばし]・走井橋[はしりいばし]・二宮橋[にのみやばし]とあり、四季折々の景観に趣きのある表情をつくりだしています。大宮橋は木造の橋を模した高欄付きの美しい反り橋で寛文9年(1669)建造とされています。三橋とも重要文化財です。

山王鳥居

 普通よく見かける明神[みょうじん]鳥居の上に、合掌の形をつけた日吉社独特の鳥居です。延暦寺を開いた伝教大師・最澄が日吉大社を護法神(ごほうしん)とされたことから、古くは延暦寺に参拝される方々もこの道を通ったので、ふつうの鳥居の上に合掌の形をつけているといわれています。

西本宮

 祭神は都の守り神と崇められる大己貴神をお祀りしています。天正14年(1586)の造営です。
 本殿の造りは「日吉造[ひえづくり]」と呼ばれ、前面と両側面にのみ庇がつけられた独特な形をしています。日吉大社の東本宮と西本宮と宇佐宮にだけ見られる形です。屋根は檜の皮を原料とした檜皮葺[ひわだぶき]で、さらに本殿に狛犬が乗っている様式は珍しく、古くからの形を継承する建造物です。
 本殿階段の右下には入口があり、下殿[げでん]と呼ばれる部屋に入ることができます。山王七社にはすべて下殿があります。神仏分離になる前はここは延暦寺の僧侶が仏式でお参りするための部屋でした。この中には仏像や仏画が置かれていたそうです。

宇佐宮[うさぐう]

 祭神は田心姫神[たごりひめのかみ]。西本宮の大己貴神のお妃の神になります。建物はやや規模の小さい日吉造り。慶長3年(1598)の造立。宇佐宮の神紋が橘[たちばな]であることから、本殿両脇に橘の木を植えています。以前は聖真子[しょうしんし]宮ともいわれていました。

白山宮[しらやまぐう]

 祭神は、平安時代に石川県にある白山比咋[しらやまひめ]神社からお招きした菊理姫神[くくりひめのかみ]。建物は慶長3年(1598)の造営で三間社流造の様式です。以前は客人宮[まろうどぐう]ともいわれました。
 本殿左側の岩は、この神様がお祀りされたとき、真夏にもかかわらず大雪がこの岩の丈ほども降り積もったそうで、「雪丈岩[ゆきたけいわ]」と呼ばれご鎮座に縁のある岩です。

神輿庫[みこしこ]

 日吉大社は日本の神輿のルーツといわれています。約1200年前、桓武天皇がこの神社に2基の神輿をご寄進されたのがはじまりといわれ、今では山王七社それぞれ一社に一基ずつの神輿があります。滋賀県三大祭りの一つに数えられる4月の山王祭[さんのうさい]では、同時に新調された神輿を担いでいます。神輿一基の重さは約2000kg(2トン)、現在の神輿の2倍の重さで重要文化財です。

奥宮登拝口

 八王子山への登山口です。時間にして約30分くらいで山上に着きますが、たいへん傾斜のきつい山です。山王祭の時には、この急坂をおよそ1トンの神輿を担いで山にあがり、4月12日には松明(たいまつ)の火だけをたよりに下ってくる勇壮な「午(うま)の神事」が行われます。

牛尾宮[うしおぐう]・三宮宮[さんのみやぐう]

 八王子山の山上にある奥宮です。牛尾宮には大山咋神の荒魂[あらたま]を祀っており、三宮宮には鴨玉依姫神[かもたまよりひめのかみ]の荒魂を祀っています。その間に「金大巌[こがねのおおいわ]」という10mくらいの高さの大岩があり、かつて山神様が宿っておられたといわれます。牛尾宮は寛文9年(1669)、三宮宮は慶長4年(1599)の造立で重要文化財。双方とも三間社流造です。

樹下宮[じゅげぐう]

 祭神は、東本宮の大山咋神のお妃神である鴨玉依姫神をお祀りしています。建物には山王七社の中でも最も豪華な飾り金具がつけられています。樹下宮の御神座の真下に霊泉があり、以前はここでご神水を採っていました。以前は十禅師宮[じゅうぜんじぐう]といわれていました。文禄4年(1595)造営。

東本宮

 祭神は大山咋神で、西本宮と対をなします。二宮(にのみや)、小比叡(おびえ)とも呼ばれます。山の神のみならず、五穀豊穣や家内安全の神様として知られています。東本宮本殿は、日吉造の国宝で、社殿後方の廻り縁の中央3間の部分が一段高く造られている点が西本宮と異なります。文禄4年(1595)造立。檜皮葺は平成25年3月に新しく葺き替えられました。

日吉東照宮

 徳川家康は没後「東照大権現」として神格化され、静岡の久能山東照宮、後に栃木の日光東照宮にお祀りされました。東照宮造営に関わった慈眼大師・天海が天台宗の僧侶であったこともあり、元和九年(1623)徳川三大将軍家光公の時に比叡山の麓に造営されました。
 その際には本殿と拝殿を繋ぐ「権現造り」という様式を用い、できあがった社殿が素晴らしかったことから、その様式を基に日光東照宮を再建したといわれています。社殿・唐門・透塀が重要文化財に指定されています。
 明治以前は比叡山延暦寺が管理をしていましたが、明治時代に入り神仏分離令が出されると共に日吉大社の管理するお社となり、今日に至っています。